色素性乾皮症連絡会とエポカル
クラウドファンディングで制作したUV防護服を色素性乾皮症連絡会のお子様達に寄贈しました
3年前、色素性乾皮症(XP)のお客様のご紹介でお目にかかったのが、色素性乾皮症連絡会の代表有元諭史様
病気の情報を少しでも集めて、XPの方々がお互いに助け合っていける場を作りたいと、定期的に情報交換の場を設けていらっしゃいます。
初めてお目にかかった時、EPOCHAL製品はすでに皆様の定番アイテムでした。
エポカルと色素性乾皮症連絡会様との関係について
【目次】
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出会いは3年前
エポカルは4年ほど前からInstagramで発信をしています。
製品の写真や、ピーカブーの日常など、毎日1枚の写真を上げているのですが、時々、お問い合わせなども受けており、お客様との窓口の一つとなっています。
そんな中、色素性乾皮症のお子様の様子をあげていらっしゃるお客様を発見。
製品のことなどで、やり取りするようになり、色素性乾皮症について伺いたいと思い、代表の有元様をご紹介いただいたのが3年前の2月でした。
東京駅で待ち合わせをし、喫茶店で色々なお話を伺いました。XPのお子様のお話、連絡会とお医者様のお話。活動についての説明・・・
いつ、どんなタイミングでわかったのですか?
そんな質問から始まり、私たちの問いに一つ一つ丁寧に答えてくださいました。
有元様のお子様は、お宮参りに行って、あまりにひどい日焼けになってしまい、病院で調べていただいたそうです。
XPとわかってからの生活は一変し、とにかく外に出るたびUVを計り、自分の中でボーダーラインを決めて、そこを超えないように行動されました。
初めてお目にかかった時は、私たちも色素性乾皮症について、ネットで調べられる程度の知識しかなく、病気の方の生活は想像もつきませんでした。
お話を伺ううちに、色々と気を付けて生活しなくてはならないこと、紫外線に当たれない病気であること、進行していくと神経性の症状が出てくることがわかりました。
その日の帰り道に思ったことは、私たちにできることはあるのだろうか?
子どもを持つ親として本当に色々なことを考えました。
その2か月後、XP連絡会のひまわりの会の総会に、その翌週、大阪ふれっくるの会の総会に参加させていただきました。
皆さんエポカルのことは知ってくださっており、製品についての率直なご意見やご提案を沢山いただきました。
色素性乾皮症(XP)連絡会とは
色素性連絡会の始まりは、患者の方々がかかっていた病院の中のコミュニティです。
当時、専門に診察を行っていたのは、神戸大学病院、阪大医科大学付属病院、東京医科歯科大学付属病院でした。地元のお医者様が、もしかしてと疑いを持った時は、それらの病院に紹介されます。
大学病院では専門外来があるため、色素性乾皮症の診察の日は決まっており、自然とその日は待合室で病気についてや、生活についての情報交換が行われるようになります。
そこから、神戸大学の“つくしんぼの会”、大阪の“ふれっくるの会”、そして東京医科歯科大学の“ひまわりの会”が発足しました。当時はインターネットなどもなく、それぞれの会で、時々集まって情報交換をする場はとても貴重だったと伺っています。
2004年10月東京都神経科学総合研究所のシンポジウム ‘‘色素性乾皮症XP—紫外線障害と小児の神経難病、 遺伝子から療育まで’’が開催され、 それを機 に大阪・神戸の家族会員が東京に集まり ‘‘全国色素 性乾皮症(XP)連絡会” の発足が決まりました。
2006年, 映画『タイヨウのうた』が製作公開され、色素性乾皮症の病気が急に認知が広がりましたが、紫外線による弊害だけが前面に出てしまい、神経症状についての理解が得られないことに悩み、そこで以前から懸案事項だった 難病指定を求める署名活動を開始しました。
3つの会が協力したこと、テレビや映画での知名度が上がっていた時期であったことなどから、全国から61万筆を超える署名を集めることができ, 2007年3月に難病指定を受けることができました。
その後も、各会で年に1度集まっていて、更に2008年より4年に一度全国大会が開催されていましたが、2020年はコロナのため開催ができず、各会の活動も難しくなりました。
総会で伺った当事者の声
2019年、ひまわりの会、ふれっくるの会の総会に参加させていただきました。
とても素敵な笑顔のお子さんたちが迎えてくださり、総会には私たち以外にもお医者様や、食品関係会社の方、すでに悲しいお別れをされた“天使の会”の方など、色素性乾皮症のお子さんたちを支えたいメンバーが集まっていて、色素性乾皮症のお子さんをお持ちの親御さんの真剣な質問や悩みに、みんなが寄り添っていたのを覚えています。
色素性乾皮症は、どうしても紫外線に当たれないことにフォーカスされがちですが、A群は後に神経症状が出てくることがわかっています。今できていることができなくなり、耳が聞こえなくなったり、呑み込みが大変になったりすることで、皆様がどの様に生活されているのかなど、私たちもこの時にはじめて知りました。
そんな皆様に、“何かできることはないでしょうか?”という思いをお伝えしたところ、下記のようなご要望をはじめ、色々なお困りごとを話してくださいました。
*折れないフィルムが欲しい
*ファスナーのついた手袋が欲しい
*そして、クラウドファンディングの目標となった子ども達を運動会に出してあげたい。
会社に戻ってすぐに、ファスナーのついた手袋の企画折れ目のつかないフィルム探しをしました。手袋はその夏に完成し、早速数名の方に試着していただきました。フィルム探しは2年ほど時間がかかりました。
最後に運動会に出してあげたいという願いについて、暑さ対策にファンを取り付けられないかと思い、メーカーさんお願いに伺いましたが、子ども用は作っていないので、提供できないとのこと。
素材も暑さの解決方法も見つからないまま3年という月日が過ぎてしまいました。
エポカルにできることは?
この間も、色素性乾皮症の方々から、特殊な帽子が欲しい、5本指の手袋が欲しい等ご要望をいただき、できうる限り協力してまいりました。
それでも、UVカット製品の開発においてはパイオニアである私たちが作らなくてはならないのは、UVカット防護服ではないか?という思いはずっと心に残っています。
ある時、ふとしたきっかけで、フィルムではなくUVカットするビニールを見つけることができました。早速メーカーに問い合わせてサンプルをいただき、これだ!というものが見つかりました。そして、またまた偶然に、風の抜けないしっかりとしたUVカット素材も発見!あとはファンのメーカーさんの協力をいただくだけとなりました。
防護服作成についてはこちらをご覧ください。
お医者様のメッセージや科学者の先生の応援もあり、やっとメーカーさんを説得することができ、防護服の制作にかかることができましたが、一つ問題がありました。色々な要素を含んだ特殊なウエアは材料費だけでも高価になってしまいます。
実は、最初に出会ったときに、会の代表の方から、もう一つ願いを伺っていました。それは、色素性乾皮症という病気を、多くの方に知っていただきたいという願い。
この二つを解決するには、クラウドファンディングしかない!!と思い、昨年の夏キャンプファイヤーで“紫外線に当たれない難病:色素性乾皮症(XP)の子供たちのための防護服を作りたい!”というクラウドファンディングを立ち上げました。
防護服の寄贈
クラウドファンディングでは、多くの方に病気について知ってほしいと目標と防護服を色素性乾皮症連絡会のメンバーの希望される方に寄贈したいという目標で8月に立ち上げました。思った以上に共感してくださる方が多く、1週間で目標金額を達成してしまいました。皆様からの温かいメッセージが本当に嬉しかったです。
2月21日、東京の色素性乾皮症のお子様にUV防護服をお届けし、その様子をNHKさんや読売新聞さんに取材していただき、さらに多くの方に知っていただくこととなりました。今回の防護服についてメディアに取り上げられたものについてはこちらにまとめさせていただきました。
そして、2月27日大阪の色素性乾皮症連絡会の代表の方に、UV防護封をお届けに上がりました。
その場には、大阪の2歳の色素性乾皮症のお嬢さんをお持ちのご家族様も同席してくださり、今お困りのことなど、色素性乾皮症の方を取り巻く環境についても、お話を伺いました。様々な問題がまだまだたくさんあります。その時の様子はこちらからご覧ください
今後について
紫外線に当たれないご病気の方は、色素性乾皮症だけではありません。
株式会社ピーカブーでは、これからもそういった病気の方々のお肌を守れる製品作りを行っていく予定です。
最近、生活の中でヘルプマークを見かける事が多くなりました。社会に浸透して来ましたが、どの様な病気を持っているかがわかりずらく、手を差し伸べにくいことがあります。
このマークは、色素性乾皮症のお子さんをお持ちのお父様が、UVに当たれない病気であることを周りの方に知っていただく手段として認知が広がればと望んでおられ、私たちも啓蒙活動をお手伝いいていきたいと思っています。。
ひとりでも多くのお子様の笑顔のために
株式会社ピーカブー
井関典子