紫外線の発見
UV発見の歴史をひもとく
「UV発見の歴史をひもとく」という論文を東海大学名誉教授の佐々木政子先生にいただきました。
1996年に書かれたものです。
J.Wilhelm Ritter(1776-1810)による紫外線の発見は、彼自身の方語句がGilbert Annalender Physik(1801)にわずか9行掲載されている。
可視スペクトルの紫色の外側に、塩化銀を置くと可視光のいずれの光よりも、紫の光よりも素早く黒化することを見出し、紫外線の存在を明らかにした。
Ritter(図1)が25歳の時である。
しかし、この偉大な発見は光に関する年表などにほとんど掲載されていない。
この1年前の赤外線の発見は、Sir William Herschel(1738-1822)の名前とともに広く知られれいるにも拘らずである。
これには2つの理由があると思われる。
1つは、同じ年にYoung (1773-1829)が”光の干渉”現象を発見し、紫外線発見はこの陰に隠されてしまった事、
第2は、紫外線の発見が塩化銀の黒化反応でおこなわれたことである。
塩化銀の黒化はすでにScheele(1742-1786)が1777年に可視域で見出しており、その後の銀塩の分光増感の探求の歴史の中で軽視されてしまったらしい。
このRitterの紫外線発見の経緯は興味深い。
彼は自然界に生起する全現象は統一体を構成し、極性を持つというロマン主義的自然哲学に影響され、ハーシェルが赤外線を発見した翌年、赤の外側と同様に紫色の外側に不可視光線があるに違いないと実験し、紫外線の存在を示した。
わたしは、思いがけない経緯からリッターの紫外線発見とニュートンの光の分散及びハーシェルの赤外線発見の再現実験を行うことになった。
つづく
東海大学 佐々木政子先生について
佐々木政子先生には、株式会社ピーカブーは、もう長年お世話になっています。
東海大学でのUVの研究は世界でもまれにみるものもあり、その実験現場も見せていただきましたが、オリジナルの機器を作るなど、私は理系の人間ではないので理解は深くありませんが、ものすごい研究です。
オーストラリアのARPANSAにお邪魔した時にも、ご報告をしました。
英文で書かれたUV-A測定に関しての論文を提出したのです。
先生には、UV測定機についてのご指導をいただいています。
女性科学者のトップとして、当社のUVカット製品へのコメントや、患者さん達への優しいお心遣いなどそのお言葉の端端から、本当に心優しい教育者でいらっしゃるのだなということと、何事にも真剣に取り組まれる凛とした態度にわたしは、あこがれます。
ハーシェルの赤外線発見の再現実験
その日、1994年3月12日(金)。
第11回国際光生物学会議の最終幹事会が日本学術会議で開催される全日であった。
昨年の夢のような多忙さからやっとこれで解放される。
来年度の、研究・授業などのいよいよ明日から再構築、と。ほっとした矢先の事だった。
東芝ライテック(株)技術本部研究所の河本康太郎氏から紫外線の発見者リッターについてご存知ですか?
と質問の電話をいただいた。
最近読んだ分権の中のどこかで見た記憶はあります。
「1つは河本さんにいただいた別刷り紫外線と赤外線の話の中で、1つは名古屋大 手塚さんの植物へのUV有用性について書かれている文献中で拝見しました」とお答えした。
いずれの文献にも、リッターの名前の個所に蛍光ペンで印をつけ後で調べる、と記しそのままになっていた。
リッターのUV発見の実験を再現してみたいのでお手伝いいただけますか?というお話である。
明日、お時間がありますか?はい、午前中はあいておりますとお答えしなぜか、NHKで河本氏とお会いする約束ができた。
このことが、ほぼ1か月に亘る興味深く、エキサイティングな光歴史的発見の再実験の始まりになるとは考えても見なかった。
とあります。
どんな実験になったのか、次回お目にかかったときに、お話し聞かせていただこうと思います!
株式会社ピーカブー
松成紀公子