紫外線対策 という言葉は2002年以降? 株式会社ピーカブー
「紫外線対策」 っていう言葉、実は、わたしが起業した時なかったんです。
いや、あったと言えば、UVに関しての論文に1Wordで載っていたのを拾ってきて、WEBサイトで連発していこう!
ってスタッフと決めて、新聞や雑誌に掲載いただいたりしたときにも、できるだけ発信していこうって決めたんです。
そこからは、連発しまくりました!
2005年には、環境省のマニュアルが出て、バックアップになりそこから、だんだん定着していった気がします。
一気に広まったのは、TVのニュースで「お天気予報」に紫外線情報が発信されるようになってから。
2006年の気象庁のUVインデックス情報が掲載されたからです。 振り返ってみると、2002年の起業からもう19年。
株式会社ピーカブーは、4月には20年目を迎えます。 今朝は昔の写真を眺めて、「えらい大変な20年だったなぁ」と
周りにいてくれるスタッフやお取引先の皆さんの笑顔、 何よりモデルとして参加してくださった方々との出会いを 思い出してます。
UV発見の歴史をひもとく
「UV発見の歴史をひもとく」という論文を東海大学名誉教授の佐々木政子先生にいただきました。
1996年に書かれたものです。
J.Wilhelm Ritter(1776-1810)による紫外線の発見は、彼自身の方語句がGilbert Annalender Physik(1801)にわずか9行掲載されている。
可視スペクトルの紫色の外側に、塩化銀を置くと可視光のいずれの光よりも、紫の光よりも素早く黒化することを見出し、紫外線の存在を明らかにした。
Ritter(図1)が25歳の時である。
しかし、この偉大な発見は光に関する年表などにほとんど掲載されていない。
この1年前の赤外線の発見は、Sir William Herschel(1738-1822)の名前とともに広く知られれいるにも拘らずである。
これには2つの理由があると思われる。
1つは、同じ年にYoung (1773-1829)が”光の干渉”現象を発見し、紫外線発見はこの陰に隠されてしまった事、
第2は、紫外線の発見が塩化銀の黒化反応でおこなわれたことである。
塩化銀の黒化はすでにScheele(1742-1786)が1777年に可視域で見出しており、その後の銀塩の分光増感の探求の歴史の中で軽視されてしまったらしい。
このRitterの紫外線発見の経緯は興味深い。
彼は自然界に生起する全現象は統一体を構成し、極性を持つというロマン主義的自然哲学に影響され、ハーシェルが赤外線を発見した翌年、赤の外側と同様に紫色の外側に不可視光線があるに違いないと実験し、紫外線の存在を示した。
わたしは、思いがけない経緯からリッターの紫外線発見とニュートンの光の分散及びハーシェルの赤外線発見の再現実験を行うことになった。
株式会社ピーカブー
松成紀公子